#21 Pond Racer (1991)





#21 Pond Racer (1991)

世界でも有数の大戦機コレクターとして知られる"ボブ"ロバート・J・ポンドは1980年代までに大戦機がエアレースを戦う事で徐々に失われていく状態を憂慮するようになり、新しいテクノロジーを用いて大戦機よりも速く、加えてより安全な機体が旧来のレーサーに取って替わる新しいエアレース像を模索しました。
全く新しい機体による速度記録の更新と、リノでの勝利を目指すボブ・ポンドの思想を具現化するためにスケールド・コンポジッツ社が Model 158として開発したのが本機、"Pond Racer"です。同社はバート・ルータンの設計により奇妙な外観ながら革新的な航空機を作るメーカーとして知られていて、世界最初の無着陸無給油世界一週飛行を成し遂げた "Voyager"、後には高度100kmへ到達しX-Prizeを獲得した "Space Ship One"などを世に送り出しています。

全複合材製で双ブーム、前進翼の機体にV型6気筒で排気量3000cc、公称出力1000hpの日産/エレクトロモーティブ VG-30Tエンジンを双発装備した本機は全長25.6フィート、翼幅25.4フィートに仕上がりました。レース時重量は約3500ポンド。これはレース用に軽量化したP-51の1/3程度で、この機が如何に軽量であるかを物語っています。
また操縦席から離された消火装置付きのエンジンナセルや、キャノピに爆砕コードを配して速やかな脱出を図るなど、パイロット防護にも配慮した設計が採られていました。

完成した "Pond Racer"は#21のレースナンバーを付けて1991年のRENOに姿を現します。操縦を担ったのは #4 "Dago Red" や #8 "Dreadnought" でアンリミテッドクラスの上位を争い、RENO'86では優勝の経験もあるリック・ブリッカートでした。予選の記録は400.010mphで11位。上位とはまだまだはっきりとした速度差がありました。#21はヒートレースでもオイル漏れを連発し、決勝のシルバーレースでもエンジンを壊し、緊急着陸でシーズンを終えています。
翌RENO'92では各部に空力的なリファインを施されて出場しますが、決勝でブロンズ2位と低迷。本機は常にエンジンの潤滑と冷却に問題を抱えていたようで、その出力も期待されたそれを大幅に下回る1基あたり650hp程度であった様です。

翌年のRENO'03。 #21は予選中に右のナセルから火災を発生して墜落。 パイロットのブリッカートも命を落としてしまいました。 パイロットの死因は熱傷、本機の総飛行時間は僅か75時間。
速くそして安全な新世代のレーサーを、というボブ・ポンドの企ては皮肉な結果に終わってしまいました。

なお、2005年のルール改訂によりアンリミテッドクラス出場機の規定に乾燥重量が4500kg以上という文言が追加されてしまいました。 なので仮に本機を再製造してもそのままではレースに出ることは出来ません。





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