#45 Risky Business (1994)





#45 Risky Business (1994)

 このレースナンバー#45を着けたP-51Dは元々中米のニカラグア空軍機で、退役後60年半ばに米国に移され一旦民間登録されましたが、そのあと70年代半ばまでエルサルバドル空軍機になっていた機体。 再び米国の民間機としてN35FFの登録記号を与えられ、幾人かのオーナーを経たあと、 1988年のリノ・エアレースにビル・ラインシルド (Bill "Rhino" Rheinschild) の乗機として現れたのがレース歴のはじまり。

 カルフォルニアで不動産開発をしていたラインシルドは勇猛な操縦から "Rhino"、サイの異名を持つ人。 彼のチームはリノ初出場の88年からレース引退の06年まで、04年の欠場を除きアンリミテッドクラスに毎年出場、その多くの年が下位と上位のダブルエントリーで、その両方を殆どラインシルド本人が飛ばすという入れ込み具合でした。 90年のリノでは彼の妻のエリン (Erin Rheinschild) がリノ・エアレース、アンリミテッドクラス初の女性パイロットとして P-51D #533 "No Business" を飛ばしブロンズレースで優勝したりもしています。

 話を#45に戻すと "Risky Business" の名を付けられ美しく磨き上げられた機体は翼を短縮して整形はしているものの比較的原型であるP-51の姿を良く残していましたが、レース用にチューンしたエンジンを載せていて最上位ゴールドレースの常連として活躍しました。 それでも当時リノで激しく優勝争いを演じていた#77 "Rare Bear"を始めとする高度に改造されたレーサー群と比較すれば一歩及ばない位置付けではありましたが、94年には後に他のレーサーがこぞって採用することになるウイングレット状の翼端処理をいち早く導入したり、オリジナルに比べ半分程しか高さのないレーシングキャノピーを付けて注目を浴びました。 この翼端は後まで残されましたがレーシングキャノピーはその後98年シーズンまで何度か試されましたが結局元に戻されています。
 実はこのキャノピーは#45のオリジナルではなく、かつてドン・ウィッティントン (Don Whittington) の #9 "Precious Metal" (RRグリフォンエンジン搭載の二代目、 #38 "Precious Metal" とは別の機体) が81-83年に、その後 ジョン・プットマン (John Putman) の #69 "Georgia Mae" が85-86年に着けていたものです。 速そうに見えるこのキャノピー、各機とも結局元に戻しているんですが、どうも視界の歪みが激しくて使い続けるのが難しかったそうです。
 #45のリノでの成績最高位は94年のスーパーゴールド(この年のみゴールドレースの上位として設定られた最上位クラス)で3位、98年と00年にゴールドで3位に入っています。 最速の計時は93年に4位に着けた決勝ゴールドレースで叩き出した436.942mphでした。 ラインシルドはリノで#45を02年シーズンまで飛ばし、その後はサブ機だったホーカー・シーフューリーの #117 "Bad Atttitude" をメインとして使用しました。

 #45はそれから再レストアを施されノーマル仕様に戻されたあとマイク・ブラウン(Mike Broun) へ売却され、新たな登録記号N551MBを得て #2 "Goldfinger" として18年シーズンからリノ・エアレースに復帰しています。






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