◎リノ・エアレースのレースシステム
・出場資格
レース機については各クラスの解説の通りですが、パイロットにも勿論出場資格があります。 事業用単発以上のライセンスがあること、大戦機の場合は米国連邦航空局で特別に規定のある該当機種での操縦資格があることとされています。 またリノで初めてレースを行うパイロットには毎年7月に行われるルールや作法の講習会「パイロンレーシングセミナー」に参加してルーキーテストをパスする事が求められています。
・コース
レースコースはパイロンと呼ばれる目標塔が各クラス毎に図のような配置で立てられていて、これを反時計回りに周回します。 各パイロンの立っている場所にそれぞれ標高差があるので、アンリミテッドでは最大70mほどの高低差のある立体的な形状をしていて、さらにリノ・ステッド空港の標高も約5000フィート≒1500mとやや高めであることもレースに影響しています。 過去に何度かコースの改訂が行われています。 この図は2017年シーズンのコースレイアウトで、各クラス毎に基準となる周回速度及び旋回Gで飛行コースの曲線が規定され、それが公式の計時に用いられます。
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ホームパイロン |
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パイロン |
パイロンは地面に立てた丸太の上にドラム缶が付いたような形をしていて、高さが15m程度あります。 パイロンジャッジと呼ばれる審判が監視をしていて、レース機がパイロンの内側を通過するとパイロンカットとして1回につき+2秒×レース周回数のペナルティが周回タイムに加算されます。 6周のレースでは12秒が加算されるって事ですな。 また機体の中心線がパイロン先端の高さ(ホームパイロンでは "RENO" の文字の"R"の下端)よりも低く飛んだり、コースの外側に設定されたレースコースショーラインをはみ出して飛んだ場合には即失格となります。
クラス毎に規定の周回数があり、AT-6/SNJでは5周、スポーツ・ジェット・バイプレーンは6周、フォーミュラワンでは8周。 アンリミテッドは通常6周ですが決勝のゴールドレースでは8周を戦う事になっています。
・スタート
スタートはバイプレーンとフォーミュラワンが予選順に滑走路上で整列して合図で離陸する方式です。 規定によりこのふたつのクラスはプロペラが固定ピッチなので空中で速い機体ほど離陸の加速が付き難い傾向があります。 なのでスタート直後では遅い機体が先行するのを速い機体が抜くレース展開になります。
それ以外のクラスについては空中で予選順の隊列を組み、AT-6は滑走路の西からホームストレートへの進入、アンリミテッドとジェットとスポーツは滑走路の東端から北方向への進入時にペースプレーンから "Gentlemen, You have a Race" のコールが掛かってスタートを切るローリングスタート方式が採られています。 図中の矢印がスタート時における編隊の進入方向です。 またスポーツクラスのみスタート直後の一周はアンリミテッドと同じコースを巡る事になってます。
・予選と、本戦のヒートレースによる繰り上がり方式
リノ・エアレースでも各機がレースウィーク最終日の日曜にある決勝レースでの勝利を目指すのですが、ちょっと変わった方式になってます。
まず予選がレースウィーク前半の月曜から水曜ににかけて行われ、エントリー各機がコース1周のタイムアタックを行います。
木曜からの本戦では各機が予選の速度によって上位から数階級に振り分けられ、各階級でそれぞれ "ヒートレース" を戦い、各ヒートレースで上位の機体は翌日にひとつ上の階級で戦える事になっています。 またヒートレースでトラブルにより飛べなかった機体は翌日のヒートレースの階級をひとつ落とされ、階級落ちした機の数だけ前日の下位階級からの繰り上がる機数が増える仕組みになってます。
この様にして木金土の3日間ヒートレースを戦った結果で日曜に行われる決勝のチャンピオンシップ、ブロンズ・シルバー・ゴールド各階級のスタートポジションを決める仕掛けになっています。
文章だと判り難いので、図にするとこんな感じになります。(クリックで拡大)
この一見複雑な繰り上がり方式ですが、このシステムのお陰でトラブルにより予選の速度が計測出来ず、本戦へぶっつけ本番の出場(そういう事が出来るのだ)をしたり、序盤のヒートレースを飛べない機体があっても下位の階級からヒートレースを勝ち上がり日曜のゴールドレースを戦う事が可能になる利点があります。
図は06年のアンリミテッドの例で、決勝レースが9機x3階級で計27機のルールです。 エントリー機数の都合でヒートレースや決勝レースに参加する機数、クラスによっては決勝までに戦うヒートレースの数が毎年調整されますが、繰り上がりの仕掛けは同じです。
またリノではレースチームが複数のパイロットを登録し、1機のレース機を予選やヒートレース、決勝でパイロットを替えながら戦っていく事が認められてたり、逆にチームがアンリミテッドクラスへ2機をエントリーし、その両方を同じパイロットが操縦する事もあります。 こういう場合の2機はゴールド狙う速い機体と、別のもっと遅い機体のペアなのでヒートレースがかち合わないから同一クラスにダブルエントリーしても問題ない様です。
・レースでの作法
後続機が先行機を追い抜くにもルールがあって、接近した状況で追い抜きを仕掛ける機は旋回する先行機の外側を飛ぶコースを取ることが定められています。 エアレーサーは視界が非常に限られているので強引に他機の内側へ切り込むことは接触事故の可能性を高め、また旋回の内側後方では気流が大きく乱れているため後続機の飛行安定に深刻な影響を及ぼします。 また抜かれる機が相手の進路を妨害するのも違反です。
レース中にトラブルを起こした機体はまずその速度を利用してコースから上昇し、緊急着陸のための高度を稼ぎます。 レースコースは地表に近いのでそのままでは危険な高度ですが、速度があるのでエンジンが不調でも一旦上昇をすれば時間的余裕が生まれ、常に上空からレースを監視をしているペースプレーンの誘導により通常と横風用に2本ある滑走路のどちらかへ着陸することになっています。
リノ・エアレースで良く言われているのが "Fly Low, Fly Fast, Turn Left" の言葉です。 「低く速く左旋回せよ」って所でしょうか。 高めの高度を取っての飛行ではパイロンぎりぎりに周回する事が難しくなります。
とは言え各機が常にパイロンぎりぎりの高度で飛ぶかと言えばそうではなく、パイロットによって高く飛ぶ者や低く飛ぶ者まで様々です。 また高めのコース取りをしておいて、ここ一番のタイミングで下降に転じ位置エネルギーを利用した加速で先行機を抜き去るテクニックがあるのは三次元空間で争われるエアレースのみどころのひとつです。
◎人が戦うレースと、マシンが戦うレース
リノ・エアレースは観客数十万人を動員する大イベントではあるのですが、そこへエントリーしているチームは多くがパイロットが自らの機体とそれをサポートするチームのオーナーとなって参加しています。 チーム同士の横の繋がりも強く、リノ・エアレースは巨大な草レースでもあるんですな。
そこでは数々のレースに勝っている強いパイロットや長年活躍を続けている名物パイロット、渡り歩いたチームを次々に優勝へと導く名エンジニアらが注目や賞賛の的になっています。
また一方でリノ・エアレースに集う人々はそこに参加している人々だけではなくマシン、レース機=エアレーサー達にもレースを戦う主体としてのキャラクター認めているのが面白いところで、リノのエアレーサーは古い機体が多く、オーナーやパイロットが幾度となく変わっても同じ名前で、或いは新しい名がついて長年ずっとエアレースに参戦し続けたり、パイロットよりもレーサーの方がレース歴が長く知名度も高い事だって珍しくありません。 不時着事故や機体のトラブル、チームの資金難、オーナー交代等の理由で何年も、時には何十年もレースから離れていた機体が往年の姿を取り戻し、レースへと復帰して歓呼とともに迎えられるなんて事もあります。
◎リノ・エアレースでの事故
エアレースではしばしば事故が起こります。 出場機の多くは機齢が進んだ骨董品ですし、アンリミテッドのエンジンは定格をはるかに越える出力で運転される事も珍しくありません。 また地表近くを機体の性能限界付近で飛んでいて、ルールがあるとは言え編隊飛行でもないのに多数機が近接して飛ぶのはエアレース位なもので、レース中のトラブルが後を絶ちません。 残念ながら過去に度々人命が失われる事故も起きています。
2011年9月16日金曜日、その日のエアレースイベントの最後となるアンリミテッドクラス、ヒート2Aレースで深刻な事故が起こりました。レースの3周目、その時点で4位に付けていたP-51D改造機、#177 "The Galloping Ghost" が第8パイロンを通過する辺りで突然ピッチアップを起こし機体は右へ緩ロール、ピットエリア上空で背面姿勢になった#177はそこから降下、グランドスタンド前にあるボックスシートへほぼ垂直に墜落、機体はそこにいた観客を巻き込んで四散、墜落地点には直径数メートルの穴を作りましたが炎上には至りませんでした。 この墜落によりパイロットと墜落現場にいた観客10人が死亡、16人の重傷を含む69人が負傷をするというエアレースの歴史始まって以来の大事故となりました。
RENO'11は以降のスケジュールが総てキャンセルされました。 国家運輸安全委員会=NTSBによる事故の調査によると事故機の左エレベータのトリムタブ・ヒンジを構成するリンクアセンブリの部材が劣化によって剛性の低下を来しておりレース速度によって誘発されるタブのフラッターでリンクが破壊される過程で最大17.3Gに達するピッチアップが生じ、パイロットの意識が消失して制御不能のまま墜落したと結論付けられました。 フラッターについて、レース機としての改造の結果タブの空力的負荷が増す影響があったことも指摘されています。
同種の事故として98年に #5"Voodoo" がトリムタブの脱落によって10Gを越えるピッチアップに見舞われ、パイロットのボブ・ハンナが辛くも着陸まで漕ぎ着けたことがありました
#177のパイロットはフロリダで不動産業をしているジミー・リーワード。 1975年からリノ・エアレースに参加している古参で、長らく美しく磨き上げたP-51D #9 "Cloud Dancer" に乗ってリノを戦っていましたが、2010年からはより高度な改造を施して優勝を狙える機体である#177を持ち込んでいました。
その#177はオーナーのリーワードよりも古い1946年のトンプソン・トロフィーからのレース歴を持つ機体です。 暫く保存状態に留めおかれていたのをリーワードが再生、2010年のリノで復帰を果たした#177は腹部のラジエターを取り去って沸騰冷却システムを組み込んでおり、現代のリノでも最高度の改造を施された機体でした。
事故の絶えないエアレースと言えども、その歴史上でパイロット以外が巻き込まれる事故というのは大変珍しい事です。 1949年のクリーブランドで行われたナショナルエアレースのトンプソン・トロフィーにおいてレース中にA-36(P-51C)改造機の #7 "Beguine" が墜落して民家に突っ込み、1歳になったばかりの子供とその母親を巻き込んだ事故がありました。 今回の事故はそれ以来62年振りの事になります。
トンプソンでの事故の後、朝鮮戦争の勃発も手伝って米国ではパイロンレース開催の機運がすっかり失われてしまいました。 長い空白期間を経て米国で再びエアレースが開催されたのは1964年、それがリノ・エアレースの第1回大会でした。